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自転車のある風景 第 11 - 1 話 恋の嵐(雨やどり少々)

 天気予報通り、夕方には雨がしとしとと降り出した。雨雲レーダーを見てみると、真っ赤に色付けされた雲が徐々にこっちへと向かってきている。あと30分もすれば冷たい雨がたくさん降ってくる。
 近づいている冬の足音、華やぎ始めた街を歩く人は急ぎ足になっていく。
 
 クリスマスが今年もやってくる。楽し気な鈴の音が聞こえても、心にサンタクロースが住んでいても、やっぱり独りぼっちは寂しい。一緒にいたいと思う人なんて、いないほうが心は楽じゃないかな。
 パーティーのお誘いはいくつかあるけれど、他に予定もないからしかたなく集まった仲間では素直に楽しめなくて、気持ちのどこか片隅で来なきゃよかったって思ってしまう。それはお酒の神様に対して失礼だから、お誘いはすべて遠慮している。

 人混みの中にまだ彼を探している。
 だから誰かが私に話かけてくれても少しも嬉しくない。こんな気持ちがいつまで続くのかと心配になってしまう。
 あの日、仕事から帰宅した後、道具箱から潤滑スプレーを出してきて自転車のチェーンに吹きかけた。ガチャガチャと強い音はキシキシと比較的滑らかな音に変わった。ハンドルやサドルの周りも雑巾で丹念に拭いた。長年の埃と油と水の化合物は簡単には剥がれなかったけれど、買ったばかりの姿が思いだせるくらいには、そこそこ綺麗になった。
 あれから3ヶ月、なるべく同じ時間帯に自転車で駅まで通勤しているというのに、一度も彼の姿を見かけない。同じような赤い自転車を見つけると目を凝らすけれど、その度に残念な気持ちになる。
 これだけ寒くなってくるともう、自転車で駅まで通うのもつらくてめげそうな気持ちと何回も闘っている。
 それでも頑張って自転車に乗っているんだから、この星の片隅で巡り合えた奇跡が再び起こることを信じたくもなる。

 帰り支度を始めた途端に、来年度のイベントについて意見を聞かせてくれと話しかけてきた上司が、自分の思いだけを淡々と述べただけで無駄に時間が過ぎてしまい、見たかった展示会に立ち寄って帰るつもりが、そんな気が失せてしまって真っすぐに帰ることにした。
 冬の雨は傘を持つ手の温度をどんどんと奪っていく。いっそ、雪に変わってしまえば、まだ空を見上げて笑える気持ちになれるのに。

 暖房が効いている電車は暑い。人の臭いとオイルの臭いと埃が混じり合う息苦しい空間で、一生懸命に吊り革につかまっている。窓を開けて新鮮な空気を流し込んでくれないと酸欠になりそう。
 駅に到着して大きく人が動いた。身体にぶつかりながら平気で降車していく人の背中に冷たい視線を送りながらも、この混雑ならしかたがないとは思うものの、少しは気遣えよって言いたくなる。
 車窓を水滴が流れ落ちるほど雨はまだしっかりとは降っていない。自宅の玄関を開けるまでこの程度の降り方なら助かるなと考えながらずっと外を見ていた。
 曇ったガラスの向こうに、眩しいくらいのライトを点けて、派手なレインウエアを着て走る自転車が見える。よくもまあ、この季節の冷たい雨の中で走っている人がいるもんだと呆れて見ていた。
「あっ」
 電車と自転車の距離が近くなったと同時に、反射的に身を乗り出して曇ったガラスを指で拭っていた。慌てて覗き込んではみたものの、暗くてその人の顔がはっきりと見えるはずはない。あまりにもぼぉっとして外を見ていたから、赤いロードバイクであることに気がつくのが遅すぎた。小さくなっていく姿はビルの陰に消えてしまった。
「まさかね」
 そう呟いたとき、お腹の辺りで聞こえた咳払いで、窓に顔を近づけすぎて座席にいる男性に覆いかぶさるような恰好をしている自分に気がついた。
「すみません」
 電車はゆっくりとスピードを落として駅へと滑り込む。
 あの人の笑顔と、あの人の声がぐるぐるまわる。恋がこんなにもつらいことだとは思わなかった。
 人は誰でも悲しい気持ち抱えて生きているからこそ祈るのかな。

 改札を出ると雨はたくさん降り始めていた。
「あ、忘れた」
 傘。
 頭の中はこんがらがっていて、気は動転していたから電車の手摺に引っかけたまま置いてきてしまった。
 冬の雨に濡れたくないから、また無駄な出費をしてしまうと情けない気持ちで改札真向かいのコンビニエンスストアに入る。
 好きな女優さんが表紙を飾るファッション雑誌を手に取ってパラパラとページをめくる。星座占いでは素敵な出会いがあるでしょうと書かれているけれど、私と同じ星座の人がこの世に何人いると思ってるんだと卑屈になる。
 隣で料理本を立ち読みしているお兄さんはカレーのページを見ながら、なぜか嬉しそうに笑っている。
 口元から虫歯がキラリン!
「あっ」
 思わず大きな声が出た。
「え?」
 私の声に驚いたお兄さんがこっちを向いたから恥ずかしくて下を向いてしまった。でもここでひるんでいるわけにはいかないから懸命に顔を上げる。
「あの、赤い自転車の人・・・ですか? 」
「そうですけど。どうして?」
 彼は怪訝そうな目で私を見ている。
「あの、3か月ほど前の朝、チェーンが外れたときに助けて頂いた・・・」
 彼はなにかを思い出そうと私の顔をじっと見つめる。
「思い出した。スヌーピーのハンカチの人ね」
 そこを覚えてるのね。
「そうです!」
 会えた。やっと会えた。
 袖振りあうも多生の縁、どんなに細い縁の糸も物語を運んでくる。
 夢かと思ってほっぺをつねったら痛かった。
「ありがとうございました。ちゃんとお礼も言えなくて。ずっと探してました」
「ずっと?」
「あ、いえ、そういう意味じゃなくて」
「そういう意味?」
 そんな突っ込みは慌てるだけだからやめてほしい。明るいだけが取り柄でも恋に憧れることがあったっていいじゃない。

・・・つづきは06月10日に掲載・・・


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